JWDCの果たしてきた役割


JWDCの設立

 ジャナカプールの女性たちの受け継いできたアートを商品化し、少しでも彼女らの収入を確保しようと1989年JWDCが設立された。4年前に現在のクワ村に移った。空港からも近く、広い敷地にジャナカプールの伝統的な家々がセクションごとにわかれて並び、真中にチョウタリ(菩提樹等の大きな木の下にある休憩スペース)もあり、明るく健康的だ。アメリカ、カナダ、日本等外国からの援助も多く、入りたい女性たちがたくさん待っている。昨年募集した時も数倍の応募があり、面接で15人に絞った。今ではメンバー80人が絵を描いたり、Tシャツやクロスにプリントしたり、茶碗やカップなどの焼き物を作ったりと働いている。

 新人のサラリーは800ルピー(法律で定められた最低賃金)。チャンドラさんは安すぎると抗議していた。私の意見を聞かれたが、この地域の物価、賃金から考え、また就業の機会のあまりに少ないことを考えると、一人の収入を増やすより、多くの人に仕事を与えたほうがよいのではと思うと答えた。 マネージャーのスーマン・シュレスタさんは、「新人には特別な研修をしたり、作品の質も低く売るのが難しいなど投資が必要で、800ルピーしか払えない」と言っていた。


        


JWDCの果たしてきた役割
 
 センターでは新人だけでなく毎朝9:30から1時間、識字教育や一般教育、経理やマーケティング等色々な研修をして資質の向上を図っている。メンバーの家族構成を聞いたとき、子供の数は2、3人だった。カトマンズは子どもは二人くらいが最近増えてきているが、地方はまだ多い。や針JWDCで避妊指導をしているそうだ。翌日村を訪問したときも、センターで働く女性の子どもは身なりもよく、学校にも行き、きちんとしていたのが印象的だった。

 カトマンズでは、最近カーストによる差別は少しづつ減ってきていると言われるが、地方ではまだまだ根強く、センターが出来て女性が集まり始めた頃、カーストの違う人達がお昼を食べるとき、「穢れ」を怖れて一緒に食べられず、家に帰ってしまった人もいたという。それが今では一緒に食事をしたり、仕事の相談をしたり、賑やかに、時には喧嘩をしながら共に働いている。








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