CHILD LABOUR IN NEPAL サマリー(Ver.B:1995-9-18)

by Laurent Masson (英文)

土屋完二(日本文)

ネパールでは、子供はいつも家族の手伝いのために働かなければならなかった。 しかし、ここ数年、田舎の貧困のため都市部に移住する人々の中に、児童労働のより搾取された状態がみられる。 このレポートは、世界でもっとも古い人権団体であるAnti-Slavery Internationalと、ネパールで子供の権利に対してキャンペーンを広げているChild Workers in Nepal(CWIN)により発行されたものである。


1:現象の根元
初めに、現在のネパールの児童労働の状況を理解するのに役立つ幾らかの統計に注意を払わなければならない。
人口の42パーセントは14歳以下である。それは国の労働力が、とにかく、とても若いことを示す。そのような大部分が若い世代の人口構成の国では、それらの労働力を使わないで働くことができない。
子供の平均の数は5人である。貧困は、年長のものへ家族を助けるために仕事をしに行くことを強要している。
人口の4パーセントが土地の46パーセントを所有している。
ネパールでの富の不均衡は大部分の第三世界の国々と同じである。
国民の90パーセントは田舎に住んでいる。
この数字は重要であり、私たちがみるところ、ネパールにおける児童労働の主要な理由の一つは、田舎から都市への移住である。
この報告は、その問題に対して2つの主要な理由を指摘している:
教育、そして移住である。
初めに、現在のネパールの児童労働の状況を理解するのに役立つ幾らかの統計に注意を払わなければならない。

A.教育
教育の道は、田舎に住む子供達には特に制限されています。
70年代の初め以来、ネパール政府は、その国の状況改善に努めています。1995年に、先生の給与は政府によって支払われるように法で定められました。6才から9才の児童に対しては、学費も政府が支払うとされています。しかし残る問題は、政府は学費を払うが、年間平均一人の子供に必要とする200ルピーは支払われないということです。5人の子供をかかえる貧しい家族はそのような費用を支払う余裕はあり得ません。
他の問題は、学校には女性の教師および女の児童がほとんどいないということです。
学校に登録された生徒の比率は百分率で示されています(本を参照)。

B. 移住
ネパールでは、大部分の移住は時節的な田舎からの移住である。大部分の農場は,大家族がそこで働き、支えるにはあまりに小さい。
毎年、仕事を探しに望みをかけて主にカトマンズにくる約25万の人々は、田舎からの移住者である。ここ20年間、田舎から都市部への移住は以前より増えている。移住が田舎の貧しさ故であり、それは都市で労働者を必要とする非公式労働の産業を押し上げることになっている。
工場主やブローカは、田舎からの素朴な移住者を不当に利用して、高い利息でローンの提供を行い、誘惑して負債に陥れ、彼らの子供を借金束縛に引き入れることにより、奴隷として現代の市場に投入して行く。


2:カトマンズ:市街の状況
国の都会の人口は、1987年には、1952年の250,000人から1,600,000人まで増大した。結果として、無断居住やスラム街が都市で大きくなり始めた。
多くの子供が通りに住む。
1990年には、カトマンズの通りにおよそ700人の子供が住んでいた。この数字はここ数年増大している。
彼らは3つ主要なカテゴリーに分けられるように見える:貧しい田舎の地域からの逃亡者、家族、または継母、または父の物理的、または精神的虐待からの逃亡者、そして、みなし子である。最初のグループの子供達は、無断居住地域にいる家族をしばしば支えなければならない。
その両親は、かれら以上に都市部で仕事を見つけるのは難しい。大部分の孤児または見捨てられた子供達は、生きるために物乞いをする。
大部分の子供はくず屋をして、再生利用することができるものを売り、日に10から40ルピー稼ぐ。
大部分のくず屋は、紙、プラスチック、金属缶を捜して、Tekuのごみ捨て場(カトマンズの南西)で働いている。
それらの何人かは、またカスマンドゥの金持ちのいるところでこじきをする。
それらの子供がわずらう病気は:
彼らの腕および脚の切断;
破傷風の危険;
胃炎、下痢および赤痢;
これらの子供達は、学校へ行ったことがなく、文盲で簡単な計算の知識にも欠けるので、しばしば親玉にもだまされる。彼らは1日に14時間働き、20RSを儲ける。
彼らがもっている唯一の選択は、同様にハードな都市部の工場ではたらくことである。


3: 都市部の工場の子ども達
子どもを雇っている都会の産業には、主に3つの種類がある:
レストラン、ホテルおよび喫茶店でのサービス。1991年の調査では、これらの仕事についている9540人の人々の内、7680人は子供だった。
彼らの労働状態は悪く、1日に16時間以上働くこともある。
彼らの仕事がこれらのお店で終わると、彼らは支配人の家を掃除し、手伝いをしなければならない。
岩石割り:それは手仕事で、最も賃金条件の悪い仕事である。というのは、労働者は主に女性および子ども達であるからである。彼らは一日に15から20RSをもらうが、それは通常の4分の1である。
奴隷制度:カーペット産業。
カーペットの産業はチベットと関係している。産業は中国の文化革命のあとに始まった。今日、カーペットの産業は、ネパールのもっとも大きな産業であり、また外貨を一番稼ぐ産業である。
ネパールの輸出額比較
カーペットの産業は30万人の人々(50パーセントは16才以下)を雇用している。 1992年にCWINは、家族またはブローカーによるこの奴隷性の形成化で犠牲になっている子ども達の調査を行った。子ども達は、3ケ月の無賃金での訓練から始まる。
1日に10時間から16時間働き、月に約500ルピーを得る。実際は、支配人、家族またはブローカーに保管され、彼らは給料を手にすることはない。
仕事の状態はとても悪い:光は暗く、悪い換気とウールのちりは、刺激物として、危険な健康障害に到らしめる.その結果、呼吸、目、耳、鼻と咽喉の病気の発生率は高い。工場の90パーセントは、何の医療施設も保有していない。

A.ネパールのお茶の産業
これは、7つの政府所有の地所と16の私的地所からなっている.そこに雇われている人々の10パーセントは子供である。彼らの60パーセントは学校へ行ったことがない。
またこれはとても危険な仕事である。地所はしばしば村から遠く、仕事の場所に到着するために何時間も歩かなければならないこともある。月々の給料はおよそ400Rsである.
中にほとんど名前において続いた、領土の保有に漬けられたB.奴隷制度Slaveryは1924年に、しかし領土の保有、奴隷制度のシステムにおいて違法させられた。
ネパールで領土の保有の9個の異なった種類がある。あなたは領土の保有のそれぞれの種類の上の説明を将来は見い出す。それらのシステム、まだずっと彼らはネパールで廃止されて、存在する、一生多くの子供の奴隷になる。

B.しがらみの奴隷状態
奴隷制度それ自体は、1924年に法律で禁止されているが、実態としては保有されている.
ネパールでは、9つの異なった形態の中に保有されている。以下の説明を参照されたい.それらのシステムは、ネパールで廃止されているが、実態として存在し、多くの子どもを奴隷状態にしている。
Raikarの領土、Birta領土、JagirとRakam領土、Guthi領土、Haruwariシステム、Haliシステム、Dhakre、Baliシステム
これらの束縛システムでは、両親、またはだれかの負った負債を支払うために働く子供達である.負債を負った家に生まれた子ども達は、金貸しかその土地所有者のとりこにされ、仕事を選択する自由を全く知らない.CWINは、ネパールでなかば借金のとりこになって働いている子どもが2百万人いると見積もっている。


5:勧告
報告はいくつかのとても興味のある勧告をネパールの当局に与えている。ここにその勧告文を報告から抜き取った。
***省略:原本参照***
児童労働の法の施行と履行
都会移住問題に取組むこと.
意識を持ち上げること.
NGOに対し:
****
政治家、貿易の労働組合と社会的活動家への子供の権利について要点をつたえる.
村人に対し、女性と子どもの権利と女性売買で影響を与えた地域における性的に伝染した病気にたいし、要点をつたえる.
***
国際的組織:
他の南アジア人NGOsとネパールNGOsのネットワークを促進しすること.
国際的人権運動と連結して促進すること.
政府が輸出マーケットを見つける事を援助すること.それは、児童労働からの開放に繋がる.


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