第21回ネパール研究学会での発表内容から。

女性の自立への願いと現状
The Expectation of Independence for Women and the Current Situation
ベルダ・レルネーヨ(ネパールの女性の自立と子どもの育成支援の会) 
& ネパリ・バザーロ
VERDA LERNEJO & NEPALI BAZARO
土屋 
完二
TSUCHIYA Kanji

1;はじめに

 1960年に、マヘンドラ王によって議会制政治が廃止され、いわゆるパンチャヤットという、王様による直接支配の規則へ後退してから約30年。世界的な民主主義への嵐が吹くなか、ここネパールでも、多くの人々の犠牲を伴いつつ1990年4月8日深夜、新制ネパールが誕生しました。そして、翌年の5月には民主化政権も正式に成立し、新しい時代へのスタートをきりました。
 多くの市民の命を奪い、また多くの人々が傷つきながらも、長く夢みた民主主義国家の成立をついに勝ち取ったのであります。政治システムの改革を熱望し、多くの人々が通りに繰り出し、また通りを埋めつくした、その情熱の勝利でした。
 その動きは、どのような結果として現れているのでしょうか。民主化の動きに連動して、以前ではあまり目にすることのできなかった、社会のしわ寄せが及んでいる子どもの状況や、女性の状況を伝える本もかなり目にするようになりました。
 そこで、これらの本をたよりに、普段忘れがちな社会の中における弱いものの立場への認識を深め、この狭くなった同じ地球上の仲間として、今後、私たちはどのような対応をしなければならないか、またはできるのかを考えて行きたいと思います。そして、1990年の初めにヒマラヤの山にこだました、政治の自由と人権の擁護の声をいつまでも忘れず、大切に守って行きたいと思います。


2;女性の現状

 現在のネパールは、どのような状況でしょうか。カトマンズでは、学校がたくさん建ち、小学校とか中学校という部類では、少なくとも数の上では十分です。むしろ乱立状態ともいわれています。まだまだ、教育の質の高い学校は少なく、金銭に余裕のある家庭では、インドに留学させるケースも多いようです。最近の若者は、進学率も増え、識字率も向上しています(表1、表2、図1参照)。

 しかし、現在のカトマンズでも、ストリートチルドレンが少なくとも90人(160人という方もおります)はいると聞いていますし、売春宿があることは多くの方がご存じだと思います。このアンバランスはどこから来ているのでしょうか。そして、このアンバランスは、一国の範囲に留まらず、広く海外にまで広がっています。
(病気になった時は、病院に連れて行ってあげたり、健康状態をケアするセンターを忙しい中にもオープンしている方など、献身的な方々もいらしゃいます。学校にいけない子をサポートしている方々もいらっしゃるし、親のない子どもたちのホームへ寄付される方々もいらしゃることも付け加えておきます。)
カトマンズのヘルスケアーのクリニック。ストリート・チルドレンのケアを無償で実施している。近所の女性も遊びに来ている。


 では、女性を取り巻く環境はどうでしょうか。私たちのようにフェアー・トレード(オルターナティブトレード)やNGOの活動をしていますと、学校経営やそこで働く先生、物品販売、運輸業や様々なプロジェクト、マスコミにおいて有能な女性の活躍を目にします。確かに男性と違い、家では家事育児もする意味で、男性よりも大変な生活を余儀なくされていますが、自立を、「物事を客観的にとらえて自ら考え、自ら行動できる人間」という定義とすれば、彼女たちは自立した女性たちです。外側の社会からは見えにくい他の女性たちはどうでしょうか。

 インターネットを経由して送られたネパールでの出来事の新聞記事をたまたま一週間分ためて、女性の権利に関連した事項を抜き出してみました。これからでも、現在の女性の権利に対する新しい動きと、その現状が読み取れる思いがします。

・1995年3月5日
カトマンズで開かれた女性に関する3日間のセミナーが終了。75の地区から、
5,500人の女性代表が、そしてNGOから150人の女性が出席した。
トピック
ネパールへのネパール女性による貢献
田舎の暮らし
ネパール社会における女性の低い地位
女性売買、売春
家族計画
これらの問題は、レポートにまとめられ、中国のペキンで開かれる世界女性会議
で、ネパールの代表団から紹介される予定です。
・1995年3月6日
ネパール政府は、3月8日を女性の日(ナショナル・デイ)にすると決めた。女
性は、一日、ゆっくりできる。
・1995年3月7日
ネパール女性協会は、権利のキャンペーンを行うことを決めた。協会は、女性た
ちの要求も含め、ネパール女性の権利に関する報告書を準備中である。


3;貧困とそこから派生する社会的問題

 そのインターネットから抜き出した情報をみると、一般的な女性の社会的地位はさほど高くなく、その問題も開発途上国でみられる共通のものが含まれていると直感できます。
 女性と社会の関係で捕らえた時、それは、更に教育、農業、子供、人口問題、法律との関係や、経済的状況と家事労働の観点でも捕らえて行く必要があります。もちろん、カースト制度(身分制度)や幼児婚(幼児の間に配偶者を決める)のような慣習と、課題は複雑ではあります。(現在の法律では、女性の結婚可能時期は16才以上と定められてはいます。その理由の一つは、女子にも極力教育の機会を与えていこうとする考えによるもとされています。) ここでは、貧困との関係を重視して、そこから発生する様々な問題に言及することに致します。
 女性の場合は、男性でも労働市場の少ない社会にあっては、状況は更に深刻です。経済上、有効に稼ぐ手段に何があるのでしょうか。農業がその労働市場の約90%(表3、表4参照)をしめるネパールでは、女性もその有力な稼ぎ手であることは事実です。しかし、農業は投資が必要です。その投資(お金)をどの様に調達すれば良いのでしょうか。更に、女性は家事労働の担い手でもあります(表5)。この家事労働は、一般に労働としての社会的な評価を受けていません。そして、そこに生まれた女児は、いつの日か他人にあげる物であり、それ故に教育をさせるのは損という考え方が残っています(EDUCATE A POOR NEPALI CHILD by Jeff Soshnick 1993から引用、引用文の一部は注1参照)。
注1) 貧しい田舎の家庭の少女は、一般的に所有物とお手伝いとみなされ、結婚するまで親の家庭で働く。
親は、彼女たちが家庭において貴重な労働源なので、結婚して夫に教育されるまで、学校に行くことを喜ばない。夫のものになった後は、すぐに、5人から12人の子どもを生む過程に入る。 田舎の貧しさのくり返しは、この少女や女性たちに学ぶ機会を与えることなく、次の世代に引き継がれて行く。
*田舎の女性たちは、農業経済に非常に寄与していることもまた事実であることをここに付け加えておきます。

 このことは、女性の識字率を下げている要因にもなっていて、自立への妨げの一要因になっています。また、数少ない大地主から狭い土地を借りて生活する多くの農民の場合は更に大変です(人口4%の人が、国土の46%を所有している: CHILD LABOUR IN NEPALより引用)。まして、平均の子供の数が5.6人(CHILD LABOUR IN NEPALより引用)ということですから、全員がその土地からの自給自足で生活するのは困難ともいわれています。
 このような状況下、今日では、20万人のネパール女性が主にインド、バングラディッシュ、パキスタン等でいわゆるセックスワーカとして働いています。そのことを象徴するように、ネパールから新婚旅行でインドへ行くと、まず売春婦に間違われると聞きますし、また日本人でもネパリ(売春婦)と言われることがあります。ネパール好きの私たちにとって、ネパリと言われるとうれしくなってしまうのですが、それは軽べつの意味が含まれているのです。 
 なぜこのような状況がおこるのか、以下、書籍情報(RED LIGHT TRAFFIC, 1992:以下、この3章は、その本から問題を抜き出し、整理したもの。注、グラフ、写真は、追加したもの。)を中心にその問題を探ってみたいと思います。

3-T.ネパール女性の人身売買の誘因
 3-T-A. 周到に組織されたビジネス
 ネパールからインドのボンベイ等に見られる売春宿までにわたる長いルートは、売春あっせんのプロによって組織されている。これらの女性の出身地はネパールの以下の4つの地域にわけられる。

・シンドウバルチョウク Sindhupalchowck
・マクワンブル Makwanpur
・カヴレ Khavre
・ダデイン Dhading

 これらの地域では、業者が直接親と話し合ったうえで娘の売買を決め、売られることが決まった女性はまずカトマンズの売春宿に送られる。親はそれによって1万から2万ルピーを得るが、それとひきかえに娘がどこでどのような仕事をするかということを十分承知している。通常、彼女たちは10年から15年の間インドの売春宿で働く。扱いは奴隷並。暴力をふるわれ、自由が認められていない。彼女たち自身は一銭も得ることは無く、一日一回の食事だけがゆるされている。
 ボンベイでは10万人の女性がこのような過酷な条件で生活しており、その半数がネパール女性である。毎年、娘を売った家族の一人がボンベイまで行き、娘の稼ぎを受け取るというケースもあるという。。これによって家族の生活は少しでも楽になるが、娘は一切お金を手にすることはない。10年から15年の年月を経て彼女たちが何も持たずに帰ってくると新たな問題がでてくる。 

 それは、家族からの隔絶、社会復帰の困難さ、そしてエイズの問題であります。そのことは、また後に、そのケースや状況をレポしたいと思います。

 このような売春を目的とした人身売買を禁じる法律はあっても、親がいつも取引に応じ、また現職の役人や警察官も一人あたり4万5千ルピーで買収されているため、その法律は有効に働かない。

3-T-B. 人身売買の3大誘因
 取引の対象となる女性に共通しているのは、彼女たちが貧しく、教育を受けておらず、都市部をはなれた田舎に住んでいるということである。

3-T-B-1.貧しい家庭の出身であるということ
 これらの家族にとって娘を売り出すことが出来るというのは大変好都合である。娘を通して得られた収入が家族の生活の支えとなる。その意味で娘が売られたあとどのようなことをするのかを承知でいる親たちは、この取引に大きく責任関与しているのである。

3-T-B-2.教育の欠如
 教育はこの問題の最大のポイントである。教育は情報へのアクセスを可能にする手段であり、自立と自分自身の意思による自己防衛の手段である。
 ネパールでの就学率は社会の中の女性の地位を反映している。女子の就学率が上昇しても男子との格差は依然として存在している。この不均衡の割合は地域によって異なるが、例えば山岳地帯などでは通学距離が長いことが女子の就学を困難にしている。

1990年における男女別就学率



     	都市部	S_C
男子 	  67%	21%
女子 	  55%	 6%  



(注)このデータは、住所不定の子は含まれていない。また、ドロップアウトが実際には多く、特に、田舎の女子は、その傾向が強いが、その状況は、数値では把握できない。中学校への進学率が低いことは、それを物語っている。

その結果として識字率の差も歴然としている。

これらの数字から、いかに情報へのアクセスが困難であるかがうかがえる。
この状況を改善するためにいくつかのプログラムが成功裡に実施された。
・1987年の国際識字プログラム
・地方への教員派遣
・娘を通学させる目的での親に対しての補助金の支給
これらのプログラムはいずれもNGO団体の資金援助によるものである。
ただこれ以外にも例えば次のような内容のものが望まれる。
・高校までの女子の無償教育
・最低限数の女性教師の研修、雇用
・フレキシブルで型にはまらない教育カリキュラムの制度化

3-T-B-3. 人身売買の対象となるのは、地方に住む女性であること。
 このことは、以上に述べた2点と関連する。すなわち地方に住んでいるために高い教育を受けることができず、又、山岳地帯に住んでいるのが貧しい人々であるというのが現実である。

3-U.売春目的の女性人身売買が及ぼす影響
 医療面と社会面での2つの影響は、以下の通りである。

3-U-A.医療面での影響 エイズとHIVウイルス感染
 ネパール最初のHIVウイルス感染者が確認されたのが1986年である。1991年時点での感染者は2万5千人(現在は、4万人)に達した。
注2)エイズ患者が最初にアメリカで確認されたのは、1981年のことです。以来、世界中で急増しています。日本でも1995年6月末で、エイズ患者は992人、エイズウィルス感染者は3359人に達するといわれています。(VERDA LERNEJO情報より引用)

 ネパールの当局発表では、
・ネパールにおけるHIV感染は性行為によるもので、そのほとんどのケースが売春行為で
 ある。
・ほとんどがネパール国外で感染している。
・麻薬の濫用も常用者が同じ注射針を共有することから問題を深刻化している。

 そしてHIVウイルスは、
・国外で売春行為を行う女性(その45%がHIV感染者である)
・約30万人の主にインド等で働くネパール人出稼ぎ労働者
・アジアに旅行をするネパールのビジネスマン
 によってネパールに持ち込まれたとしている。

 この問題に対処するため、ネパール政府は1988年に1つのプログラムを実施した。この”エイズ予防とコントロール”プログラムは3年計画で2百万ドルの資金を投じたものであったが、その結果、5万人が検査を受けることが出来た。
このような成功を見たものの、残念なことにこのプログラムは1992年に改変された際、予算の削減を強いられた。
関連NGOは、このプログラムの実施に深くかかわっているが、これはいずれも啓もう、予防を目的としたものである。ここで問題となるのは、政治的レベルでの介入がなされなかったことである。
ネパールは、エイズに対する継続的かつ正しい情報提供を必要としている。


3-U-B. 里帰りした女性の社会復帰の難しさ
 
ネパール国外で10年以上暮らした女性たちには村に帰ってから新しい生活が待っている。彼女たちは店を持ったり、カーペット工場で働いたりする。
彼女たちのほとんどは社会、親せき、家族から疎外され、社会復帰には長い時間が必要となる。
社会復帰を目指し、訓練をしている女性たち
エイズとHIV感染が彼女たちの社会復帰をさらに難しくしており、検査の陽性反応がでた場合は家族にすらかえりみられず、社会的に死んでしまったも同然である。
 当局では、この新たな問題に直面しながらあまり積極的な打開措置を講じてはいない。具体的な啓もう活動が彼女たちのコミュニティー(家族、住民)を対象として行われなければならない。
 ネパールのNGO団体がこれらの女性の家族復帰を支えるべく努力しているが、エイズが性行為を通じないかぎり感染しないという事実をコミュニティーに理解させるには長い時間を要する。

3-V.結論
 この問題に対する無関心はそのままネパールにおける女性の地位を反映している。
1948年に施行されたネパールの憲法によれば社会においての男性優位と遺産相続、結婚、離婚、借金の貸し付けに関する民法も男性に有利に出来ている。
女性は両親そして夫に依存しており、社会的、及び経済的に二次的な地位である。
男性より若い時に働き始め、その労働量も多いにもかかわらず、その業績は社会からは認められない。その仕事内容は、主に農業と家事である。産業界では、女性はまだ受け入れられておらず、責任ある立場にいる女性はごく少数である。
 又、女性は家庭の収入の管理を一切任されていない。女性は家族の内面的イメージにすぎず、男性は社会的イメージを負っている。
 1992年から1997年までの第8次5ケ年計画として、政府は、女性の段階的に平等で有意義な社会参加を促進するための措置に取り組むとしている(政権交代があり、現在でも有効かはわかりません)。
 これは、女性がより健康であると共に、技術的な知識と収入を得て経済的にも自立する機会を与えようとするものである。
 しかしながら、女性の権利の問題は、この国において優先課題であったことはなく、今後も飛躍的な早さでこれが改善されることは期待できない。


4;カースト制度

 これら社会問題発生の原因の一つに、カースト制度があります。その典型は、バディとよばれる売春婦だけからなるカーストが存在することです。この女性たちは、現状をどのようにみているのでしょうか。JN-NET通信フォーラムに掲載されている記事をそのまま抜き出して以下に再掲載します。ここでも、経済的問題によるものが大きいことが伺えます。

・バデイの怒り
 中西部ネパールのダンに住むバディ(またはバリ)は売春を生業とする民族として、
度々マスコミに取り上げられています。彼らのジャーナリストやNGOに対する 怒りの声を聞いて下さい。
「多くのジャーナリストが我々を取材し、撮影して外国へ送り多くの金銭を稼いでいるが、我々には何の恩恵ももたらさない。いろいろな質問をしてゆくが何も返事はない。だれも聞く人がいないのなら、無用な質問や撮影は止めて欲しい」
「この地域で、教育を受けきれいな洋服を着ているグループは、我々の写真を撮って時々なにかのプログラムを企画し、外国に写真を送ってお金を稼いでいる。あのグループはBaseと呼ばれている。われわれを中傷するのが彼らの仕事さ」
「我々が必要としているのは編み物やタブラ(打楽器)など楽器つくりの職業訓練であり、その販売流通方策である。我々の経済状態は、相変わらず漁労などで1日70-80ルピーを稼ぐにすぎない。我々はジャーナリストやNGOが金を稼ぐため
に存在しているのではない」(伊藤ゆきさんからJN-NET通信フォーラムへ寄せられた記事(Kathmandu Post : Sep.21、1995)バディの声から引用)


5;貧困

 売春問題は、基本的に貧困から来ています。他に経済的自活手段があれば、だれも好んでこのような対応はしたくないのは当然です。
 その状況をもう少し詳しくみてみたいので、SINDHUPALCHOWK地域の状況をみてみます。(以下、Girls Trafficking in Sindhupalchowkから引用)
 ここは、少女売春でもっとも関係の深い地域とされています。1990年の統計によると約20万人、そしていろいろなカーストの人々が住んでいます。ここでは、ダラスという仲買人がいて、その多彩なルートで適切な人材を容易に探しだします。結果として、ここの村の住民は、その不道徳な目的の犠牲者となっています。ソーシャル・ワーカも、地域のコミュニティーのリーダーも、そして政党や警官も、その仲買人を突き止めて阻止することを恐れています。民主主義政権に移行した後でも、一つとして政党がこの問題に有効な処置を取ろうとしたことはありません。
 この売春問題は、そのことだけが問題なのではありません。そもそも、しっかりとした収入の道がないことが、この問題に終止符をうつことを複雑にしています。低い識字率、支えとなる仕事、季節的労働、手仕事の不足、そして地形的状況がこの問題を長引かせています。


原因;
1) 極端なまでの貧困
2) 低い識字率
成人の識字率


3) 雇用機会の不足と村経済の自立性喪失
 10-20才の女性は、家計を支えるためにカトマンズへ出稼ぎに行きます。でも、都市の生活を味わった彼女らは、しばしばその村へかえりたがらずそこに留まる傾向があります。そして、未婚の彼女等は、売春、売買の犠牲になります。これは、最近の傾向のようです。

4) 低い女性と子どもの社会的地位
 少女は、男児と比較して、食事、教育、健康や他の基本的に必要なものが差別されている。女性は常に経済とは無縁であり、社会的には父親に依存し、その後は夫と息子に養われることになる。

5) 非常に高い利益のあがる商売

6) 行政上の管理の甘さと政治的関与の不足

7) 売春宿からもどった少女のマイナス面の影響
極たまに村へもどる少女は、普通の村の女性と違い、きれいな服、豪華な宝石、カード、その他うらやましかぎりの物品を持ち帰る。これは、他の家庭の両親にも影響を与える。そして、大方のケースで、親せきから新たに少女をつれて行く。


6;社会活動とビジネス

 この貧困の図式は、大変に複雑で、どのように対応したらよいか途方にくれてしまいます。一つの有力な解決手段などはないからです。でも、以上の簡単なエキスの話でも感じるかもしれませんが、共通のキーワードは、経済状態の改善です。これなくして、貧困のサイクルを断ち切ることはできません。医療の問題も、経済状態とともに改善されていくのは、事実なのです。緊急支援とは別の視点で課題を考えていかなければならないのは、この理由によります。最近目にした記事もそのことを物語っています。以下、ポイントを記します。

1)国際協力プラザの9月号:日本の女性が目指すべき姿とは/マリ・クリステーヌさん;

女性に限らず人権が確立されない背景には、貧困の問題がある。これを打開するには、もっと貿易や投資が活発になるよう経済基盤を整備しなければならない。

2)朝日新聞夕刊 1995年9月28日:まず収入の道を/アメリカ人宣教師ローラン・ディル・ベセルさん;

タイ少女、売春から救ってと来日し、呼びかけている。チェンマイの教会が開設したニューライフ・センターの指導者で、読み書きを学び、職業訓練を受けている約120人の少女の母親兼先生。現金収入を得る道を与え、生活していけるようににすること。売春は親に金を送る近道だからと。


7;フェアー・トレード

 このような様々な問題に取り組んで行くと、人間らしく生きるとは何かという命題を考えなくてはならなくなります。また、地球環境の重要問題のひとつである人口問題も、女性の意識へ、そして社会の習慣や夫の理解なしには解決しない難題へと繋がって来ます。国、人それぞれに事情は違いますが、結局は、男女の関係にまで行き着くことになります。このことが、ネパール女性の立場を考える時にも大きなキーとなります。
 さて、貧困の解決には、経済開発がその解決の一つのキーワードと言いました。その経済事情の悪い国との貿易は、通信の問題、運送交通の問題を含め大変なことですが、その理念に従って活動する貿易をフェアー・トレードといいます。オールタナティブ・トレードとか第3世界ショップともいいますが、最近では、英国を含め、このフェアー(正義)を使うことのほうが多くなっています。
 水、電力、交通、健康、教育という分野では、各国から国レベルのかなりの投資が導入されています。女性の自立のための開発センターも出来ています。でも、それを継続的に支えるのは、経済活動しかありません。たとえ、UNICEFが建物を建てたとしても、営業活動はしてくれません。あとは、自力で進まなければ、そのプロジェクトは失敗します。つまり、支援したプロジェクトを後方から支えるためには、経済活動、貿易と繋がって行かなくてはなりません。また、プロジェクトに直接関係しなくても、関連の分野がバランス良く育成されなければ、輸出に耐える品質を確保することは不可能です。
 その効果は、現在のネパールの弱さである流通を更に強くし、僻地からも質の高い製品が都市部へ、そして世界の各地へ運ばれ、収入の機会が村々でも増すことに繋がります。その動きは、ゆっくりと始まったばかりです。

 今回は、テーマが難題だけに、その問題提起と、解決の一つの試みを提起することで、発表を終わらせて頂きます。最後に、ザ・ボディーショップ会長アニータ・ロディックさんの言葉をそえて。
 利益が上がらないとビジネスを機能させることはできませんが、利益だけが企業の目的とは思いません。企業活動を通して地球の現状と未来、教育や文化など、大きな問題の改革に向かうべきだと考えています。
 ビジネスが、ただ金もうけと思い込んでいるのは、現代の神話です。今では政治や教会での活動より、ビジネスという形を取る方が変革にはずっとパワフルだと思うのです。だって、店に来る人のほうが圧倒的に多いでしょう。いろいろな活動の拠点になるんですよ。
(朝日新聞夕刊 1995年11月11日:ビジネスは世の中を変革する強力な手段です:から引用)

 以上


表1:1991年の性別による識字率 (Central Bureau of Statistics, Nepal,1993)


    	 識字者	       	       	非識字者	    	       	
    	   両性	   男性	   女性	    両性	男性	   女性	対象総総計
人口	5958748	4073246	1885502	 9186323    3449371	5736952	 15145071
比率	    39%	    27%	    12%	     61%	23%	    38%	     100%
	       						
	       	識字率	   			
	       	男性	54%				
	       	女性	25%				
	       	全体	39%				


表2:1950年から1992年の識字率の変化 (Central Bureau of Statistics, Nepal,1993: NEPAL WOMEN RISINGより引用)


年度	 男性	 女性	 合計
1950	 8.2%	 0.7%	 4.3%
1960	14.6%	 1.6%	 8.9%
1970	23.6%	 3.9%	13.9%
1980	34.0%	12.0%	24.0%
1986	45.0%	15.0%	30.0%
1990	52.0%	18.0%	36.4%
見積もり      	     	
1992	55.0%	25.0%	40.1%



図1:1950年から1992年の識字率の変化 (Central Bureau of Statistics, Nepal,1993: NEPAL WOMEN RISINGより引用)


表3:1971年/1991年の職業別経済活動人口 (Central Bureau of Statistics, Nepal,1993: 1971年は、EDUCATION AND POLITY IN NEPALから引用)


	           人口	       	  比率	
職業(10才以上)	 1971年	 1991年	1971年	1991年
専門技術職等	  25000	 130653	  0.5%	  1.8%
農業関係	4580000	6126645	 94.4%	 83.5%
サービス業	 106000	 453739	  2.2%	  6.2%
製造業他	  60000	 310414	  1.2%	  4.2%
販売関係	  34000	 218496	  0.7%	  3.0%
管理、行政関係	   1000	  21942	  0.0%	  0.3%
聖職者	          47000	  77697	  1.0%	  1.1%
総計	        4853000	7339586	100.0%	100.0%




表4:1981年の職業別経済活動人口(NEPALESE WOMEN より引用)


職業	         両性計	       	   男性	      	   女性	
全人口	        6850886	100.00%	4479944	65.39%	2370942	34.61%
農業、森林、漁業	6244289	 91.15%	3974119	88.71%	2270170	95.75%	人口		比率	
職業(10才以上)	1971年	1991年	1971年	1991年
専門技術職等	25000	130653	0.5%	1.8%
農業関係	4580000	6126645	94.4%	83.5%
サービス業	106000	453739	2.2%	6.2%
製造業他	60000	310414	1.2%	4.2%
販売関係	34000	218496	0.7%	3.0%
管理、行政関係	1000	21942	0.0%	0.3%
聖職者	47000	77697	1.0%	1.1%
総計	4853000	7339586	100.0%	100.0%鉱山	            971	  0.01%	    712	 0.02%	    259	 0.01%
手工業	          33029	  0.48%	  28115	 0.63%	   4914	 0.21%
電気、ガス、水道	   3013	  0.04%	   2867	 0.06%	    146	 0.01%
土木、建築	   2022	  0.03%	   1903	 0.04%	    119	 0.01%
商業	         109446	  1.60%	  93020	 2.08%	  16426	 0.69%
交通、通信	   7424	  0.11%	   7080	 0.16%	    344	 0.01%
金融ビジネス	   9850	  0.14%	   8846	 0.20%	   1004	 0.04%
公共サービス	 313570	  4.58%	 268062	 5.98%	  45508	 1.92%
その他	         127272	  1.86%	  95220	 2.13%	  32052	 1.35%



表5:1981年の非経済活動人口とその理由(NEPALESE WOMEN より引用)


	           人口	       	  比率	
職業(10才以上)	 1971年	 1991年	1971年	1991年
専門技術職等	  25000	 130653	  0.5%	  1.8%
農業関係	4580000	6126645	 94.4%	 83.5%
サービス業	 106000	 453739	  2.2%	  6.2%
製造業他	  60000	 310414	  1.2%	  4.2%
販売関係	  34000	 218496	  0.7%	  3.0%
管理、行政関係	   1000	  21942	  0.0%	  0.3%
聖職者	          47000	  77697	  1.0%	  1.1%
総計	        4853000	7339586	100.0%	100.0%



参照文献
・DHARAM, VIR EDUCATION AND POLITY IN NEPAL, 1988.
・MAJUPURIA, NEPALESE WOMEN, 1991.
・JEFF SOSHNICK, EDUCATE A POOR NEPALI CHILD, 1993.
・RATNA P. BHANDAR, PEOPLE OF NEPAL, 1987.
・PRATIVA SUBEDI, NEPALI WOMEN RISING, 1993.
・ABC NEPAL, GIRLS TRAFFICKING IN SINDHUPALCHOWK.
・ABC NEPAL, RED LIGHT TRAFFIC, 1994.
・CENTRAL BUREAU OF STATISTICS, STATISTICAL YEAR BOOK OF NEPAL 1993
・GOPAL CHITRAKAR, PEOPLE POWER, 1992
・矢野好子/CWIN, ネパールにおける幼児婚, 1995.
・矢野好子/CWIN, ネパールの働く子どもたち, 1995.
・CWIN, MISERY BEHIND THE LOOMS, 1993.
・OMAR SATTAUR/CWIN, CHILD LABOUR IN NEPAL, 1993.
・BISHWESHOR MAN SHRESTHA, INDUSTRIAL RELATIONS MANAGEMENTS.
・国際協力プラザ, 1995/SEP./VOL.15.




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